山の向こうは水島コンビナート。と彦崎の関係。 [大久保地区]
水島の印象は
一日中ほこりっぽいということ。
すぐ裏というわけではないけれど
いつの日からか星と月の光しかなかった彦崎の夜
この山々がシルエットになるほどの仄かな明かりが灯り始める。
あれは1965年ごろということだろうか。
風向きによっては
山の匂いしかしていなかった彦崎に
ゴムの饐えたような
今まだ嗅いだこと無いような香りが漂い始める。
いわゆる高度成長の公害というのだろうか?
夜中でも遠くから巨大杭を打ち付ける音がこだまし
舗装されていない道路には大型のトラックが行き来する。
トラックが飛ばした石が後車のフロントガラスに直撃し
フロントガラスは粉々になったが知らん顔だ。
1969年には倉敷公害認定患者の公害運動が活性化する。
別にそんな運動は関係ないとばかりに
年を増す事に山のシルエットは明るさでシャープさを増す。
そうこうしていたら1970年に鷲羽山スカイラインが開通し
そこから眺める水島コンビナートの夜景は絶景ともてはやされる。
そんなバカな話があるものか。
飛行塔のあった蜂峰山はその役目を終え
角の取れた情けないオバQのようだ。(いやオバQはもともと情けなげか)
とにかく、大久保池に映り込んだ飛行塔の輝いた姿を
見ることが出来ないのはほんとうに残念だわ。
写真は2011年12月29日午前8:00頃の大久保池より蜂峰山
「工場萌え」ですか。。。コンビナートの事故は、やはり怖いですね。先日の水島のトンネル落盤も痛ましいです。。。実家もそうですが、小学校時代、クラスの友人の保護者の相当数が、水島で働いていたような。。。今は変わっているのでしょうか。
by 吹田市民 (2012-02-14 13:24)
ですね。彦崎の生活基盤もこの水島が貢献しているのですね。
文句言いすぎました。そういえば小学校3・4年の頃一気に転校生が増えましたね。男子も9人から12人に増えた者です。詳しくはしらないのですが水島へ勤める為のベッドタウンというところだったのしょう。そういえばもう亡くなりましたが、植松の叔父さんは水島で商売をしていましたね。自転車屋ですけどね。やっぱり彦崎と水島は切っても切れ仲なのですね。
by itavoon (2012-02-14 16:06)
小さいころは、スモッグ注意報とか出てましたよね。ぜんそくもちの子も多かったですし。のんきなことを言えるようになったのも、環境規制のおかげでしょう。私自身、水島は、あまりよく知りません。鷲羽山に死体が捨てられていたとか。あまり良いイメージはないかもです。自動車がないと行きづらいし。父親に連れられて、水島の8番ラーメンにはよく行きましたかね。
by 吹田市民 (2012-02-14 16:44)
いい写真ですねー。
ひかりと、そらと、くもと。
やまと、みずと、そして民家。
T兄の原風景ですねー。
ピンのあまさと逆光が、味になってるのかなー。
脱毛。もとい、脱帽っ!
by madman (2012-02-15 09:49)
ピン!携帯カメラだから限界が〜
でもそのおかげで何も細工しないで撮れるところが
私に逢ってますね。
madさんの解釈でほぼ正解です。
by itavoon (2012-02-15 12:27)