全国的には「左義長(さぎちょう)」といい
1月14日ないしは1月15日の朝に
お正月の門松、お飾り、書き初めを燃やし
以降1年の厄払いをしたりするのだ。
中国地方では「とんど焼き」。
出雲を発祥とし、竹がはぜる音から来るとされているらしい。
今では考えられないが、
「とんど焼き」と称し
廃品である段ボールだとか原反の芯とかを
家の前の広場(写真/土が黒くなっているところで)で
よく焼いたものだ。
その火力は相当なもので、
燃えながら段ボールがヒラヒラと空に待っていく、
それは楽しくもあり、かなり危険。
「火だるま大王」的にはかなり思いで深い。
ゴミは自分の家で焼き、その灰は畑へ、
そして、生ゴミは穴のなかへ。
これは彦崎の一般的流れだ。
その「とんど焼き」を初めとして、
野焼き、藁籾焼き、落ち葉たきと色々な物を焼き、
田舎ではかなり自発的に燃やし、
炎と煙が各家庭から上がっているものでした。
山火事の多い、乾燥地帯では考えられない
大らかさではないか。
年末にも
「イネモミガラ燃やし焼き芋宣言」が
のんさんからも出ました。
詳しい話ができなかったのだけど、
田圃で籾殻と藁を山積みしたものを焼く、
そのなかにサツマイモを放り込むわけだ。
そう言えば昔の冬は、セントラルヒーティングもなく、
せいぜい石油ストーブ。
広場の焚き火も「暖を取る」ために、
行われていたような気もする。
火の回りに、尻と尻の方に組んだ手を
温めていた大人の光景が今でも覚えている。
今では信じられない光景だ。
夜になると、よく祖母のヤスが
豆炭を七輪で焼き、
赤いアンカに入れていた事を
思い出します。
布団の足元に入れるためだ。
そういえば、朝になれば霜も降ったし、
霜柱で道はサクサク鳴っていた。
今とは雲泥の寒さだったのだろうか?
そんな思い出す冬。
たまには「とんど焼き」もやってみたい。
「火だるま大王」としては・・・・・。