1947年の空撮を見ていると
彦崎の地形が見えてくる。
特に分かり易いのは奥谷、大谷の東側。
南側はもう少し北側に下るのかもしれないが
このブルーライン(メイン写真)が妥当か。
天神山は基本的に明石山南の山に
組み込まれていて一体化していただろう。
特に大谷の南部の田圃はほとんどが山の一部らしい。
用木の南部、経納山(納山)北部も山を削って段々畑に
秋葉山は有名な彦崎駅の基礎となる土を掘り出して
あの状態だ。
そして彦崎貝塚の位置だ。
岡山県下の貝塚は谷の入り口の出っ張りが定位置らしい。
どうもあの片屋の田園調布の中心には
片屋貝塚があったらしい。どうりで・・・。
両方とも出っ張り定位置に存在するのも
岡山貝塚のフォーマットにぴったり。
まだまだ深い第一歩だ。