- 若林電機
でラジオだ。
1971年に買ったスカイセンサー5800は2代目のラジオ。
それ以前はこのトランジスターラジオ「sonyスニック」。
といっても兄のお下がりだが。
とにかく1970年前後は偶然のラジオブーム。
AMラジオの深夜はオールナイトニッポンにセイヤング。
パックインミュージックもあったけど関西では「ヤングタウン」。
午前中には毎日放送の「ありがとう浜村純です!」と「ごめんやす馬場文夫です!」。
夕方近くには「こども電話相談室」。深夜番組前は「欽どこ」から「ザ・パンチパンチパンチ」。
まさにラジオ花盛りだ。
そんななかラジオ登録ができ、
ワンタッチでラジオ局を渡り歩ける、まるでカーラジオのように。
現在では登録ラジオが主流だが
当時は一局一局をダイヤルで微妙に合わせることがひとつのステータス。
大きな放送局と大きな放送局の間でかすかに聞こえてくるラジオ局を探すのだ。
そんな時代に生まれてきた「sonyスニック」。
ものたりないのだ。
というか君が登場する時代には早すぎたのだ。
9石高感度ポケッタブル2R-26
¥7,500円。しかし高い。
1971年に買ったスカイセンサー5800は2代目のラジオ。
それ以前はこのトランジスターラジオ「sonyスニック」。
といっても兄のお下がりだが。
とにかく1970年前後は偶然のラジオブーム。
AMラジオの深夜はオールナイトニッポンにセイヤング。
パックインミュージックもあったけど関西では「ヤングタウン」。
午前中には毎日放送の「ありがとう浜村純です!」と「ごめんやす馬場文夫です!」。
夕方近くには「こども電話相談室」。深夜番組前は「欽どこ」から「ザ・パンチパンチパンチ」。
まさにラジオ花盛りだ。
そんななかラジオ登録ができ、
ワンタッチでラジオ局を渡り歩ける、まるでカーラジオのように。
現在では登録ラジオが主流だが
当時は一局一局をダイヤルで微妙に合わせることがひとつのステータス。
大きな放送局と大きな放送局の間でかすかに聞こえてくるラジオ局を探すのだ。
そんな時代に生まれてきた「sonyスニック」。
ものたりないのだ。
というか君が登場する時代には早すぎたのだ。
9石高感度ポケッタブル2R-26
¥7,500円。しかし高い。