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昭和20年代彦崎、高解像度版。 [彦崎の基本をおさえる]

 

121026.jpg

西高崎のハッサンがピントピッタリに
撮影し直してくれました。改めて掲載。
できれば拡大して下の俯瞰(真上地図)と比較してほしい。

本当に昔の彦崎写真は貴重だ。
また、現在の地図と比較するといろんな事がわかる
記録では昭和20年代という大雑把なキャプションなので
戦後まもないのか。30年代目前なのかわからないが
戦争で町は焼けてないみたいだ。
それにかなりの町並みで彦崎の繁栄さがわかる。
以前にも書いたが線路は川沿いにあり
現在の川沿いの道路の姿はない。
倉敷川は満ちてはいるものの現在より川幅は広く。
濁流のように見える。藤田村側のつき出た土地は
均等に広く人工的だ。

121026+.jpg



このカメラ位置はマップ俯瞰の赤丸の位置だろう。
目安は宇野線の線路と倉敷川、
そして明石の線路内側沿いの永井・小谷邸
または手前すぐの福江木工らしきものを確認。
なので福江木工所南東の山の中腹から撮影されているのだろう。

そんな距離感を考えていると
宇野線の位置は現在とほぼ同じ位置であること。
ということは現在の22号線は
この後、倉敷川の一部をを埋め立てられて作ったに違いない。
グーグルマップの俯瞰写真を見ると道路は
その部分だけ人工的に直線になっている。

また倉敷川の蛇行は手前の大曲現在でも健在であるが
稔橋手前のアールは現在では直線になっている。

大きな船が手目2艘。奥に3艘。そこが彦崎港。
そして数十メートル奥の庄司場川河口が少し入り江になって見える。
川の水面と家の位置がほぼ同じ、
というかそうも家の方が低いようにも見える。

彦崎を横断している道路は太く。三上商店の方向に吸い込まれている。
遠くに小山のような狐崎が見えその手前に宇野線らしき物が見える。
狐崎、手前の道路、宇野線らしきものを
googlemapと比較するとやや位置関係に混乱が生じる。
たぶん、かなり現在とはちがうのだろう。

というより圧倒的に家が多い。
現在のザクザクあたりに工場らしきものが見える
工場と言えば現在のオリエント被服あたりに三角屋根の
縫製工場らしきものが見える。
話を戻してザクザク前の工場から煙が出ている。
そしてその手前の広大な空き地。
ビニールハウスのような何かのような。

とにかく昔の彦崎は活気がある。
太い道が町の中を抜け、民家に吸い込まれている。
よく見ると人らしき人も歩いているし
船も一艘動いている


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