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やはり明石の道路は山側だった。 [明石地区]

150915+++.jpg


1947年の空撮では
やはりというか現在の鉄道と道路が逆転。

写真は2007年の彦崎に1943の彦崎をレイアーしてみた。
やはりというか明石の川ギリギリ道路は
川を少し埋め立てて自動車が通れる道路を増設したらしい。

話の発端は灘崎図書館にある彦崎のこの写真。
http://hikochu.blog.so-net.ne.jp/2012-10-26

宇野線を少し山側移動したかは正確にはレイヤーでは
分かりずらいがほぼ移動したのはたしかだろう。

150915+.jpg

150915.jpg

川幅当然だがアールの部分(下に出っ張った部分)がかなり浸食し
磯側から川幅は現在より藤田側にかなり広がっている。
また、明石団地の上、山側は広大な段々畑。
そして、現在では見る影もないが、
川張側は山崩れをおこしたように
ほぼ明石団地上の畑と同じぐらいの面積がだ。
そこは「治山山腹工。昭和54年度。岡山県農林部」
と何か関係があるのか。というか修復したのだろう。
http://hikochu.blog.so-net.ne.jp/2012-03-24
なにかその修復する前の禿げかたは自然というより
人為的でさえ見える程唐突だ。
というかその川張側に眼をうつせばその4-5倍の畑があるではないか
明石山は1947年頃は下からほとんどが畑で開墾されている。
今回は明石道路の話だが、
そのあたりも彦崎から灘崎に通じる交通機関に関係しているのだろう。

出典:国土地理院ホームページ
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