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彦崎貝塚。 [彦崎の基本をおさえる]

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岡山の縄文式貝塚のほとんどは
谷の入り口の出っ張りにできている。


標高6メートルで海岸に築成されている。
面積約2.500平方メートルの敷地県下最大の貝塚?
丸高工場建築敷地が含まれる。
明石山から出る石を利用した大型農耕用石器。
貝塚の面積は2,500平方メートル。
(灘崎町史参照)

意外と彦崎の人たちは貝塚の内容を
私を含めしらない。

以下まとめ。
・国指定史跡である。(2008年2月28年指定)
・瀬戸内海に面した児島湾南岸に所在。
・西日本屈指の貝塚密集地域。
・総面積2.500㎡。岡山県下で最大級規模
・縄文時代前期(約6,000年前)〜後期
・縄文土器、36種貝類、石器、装身具、人骨、獣骨出土
・考古資料として東京大学に収蔵。ちかい。
・標高約6mの海岸段丘上に立地。
・稲荷山から延びる丘陵が縄文海進*に洗われ形成。
 (*縄文時代に発生した海水面上昇のこと、そしてこの約6.000年前がピーク。現在より2-3m高い。)
・西、東、南の三方を丘陵に囲まれた深い谷を形成。
 (彦崎全体の地形)
・1921年11月20日発掘。
・縄文前期彦崎Z1式・2式、縄文後期彦崎K1式・2式を設定。
・1985年発掘で縄文時代早期(約8,000年前〜晩期 約3,000年前と判明。
・日本国内初ハマギギ種(ハマギギ、オオサカハマギギ、トウカイハマギギ)50体発掘。
・熱帯ジャポニカ米プラントパール発掘。
・人骨と装飾品との関係。
・埋葬、顔面位置が西向き多数。
・体軸は南、東向き多数。
・縄文前期彦崎Z1式(Fig153)/限られた地域性の強い土器式。丸底形状、押引文土器。薄手。
 口縁に沿って押引文。
・縄文前期彦崎Z2式(Fig155)/三段階の変遷/口縁部と胴部二段に膨らむ深鉢。/分布範囲は南から北へ移動/羽状縄文。決節縄文。縄閉端の圧痕がループ状。/特殊突帯文。

時間切れ。ここまで。
また。
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