彦崎の紅一点。レンガ建築。 [フダバダバ〜/札場地区]
英国紳士が歩いていそうな、
なさそうな。
焼き板塀の話を前回しました。
旧彦崎はほぼ黒と白の世界だと、
しかし、ワンポントにレンガ色があり。
そのレンガポイントは、
イチ。いまでもサイレン鳴りやまぬ丸髙工場。
ニ。庄司場川の馬場から駅のトンネルの出入り口、
そして、サン。磯の小松原の敬子ちゃん家(ち)ですね。
これが彦崎現在でも存在するレンガ三大ポイント。
第二室戸台風(ナンシー)にも負けず、阪神大震災にも負けず、
微塵も崩れることなく堂々と立っているのだ。
(写真参照)なんと素晴らしいことか。
因みに、小学校国語の時間での「三匹のこぶた」では、
一番目は藁、二番目は木の枝と見事に狼さんに攻略され、
食べられたぶたさん達。
三番目は満を持してのレンガ作りの完璧な家、
息を吹きかけようと、火を放とうとビクともしない。
挙げ句の果てに煙突から侵入しようとした狼。
下で大鍋でお湯を沸かし、
落ちてきた狼を茹でて食べるぶたさん。
なんと頼もしいぶたさんでしょうか。
その話を聞きながら
頭に描いたレンガのお家は、
たぶん同級生36人全員、・・・・・
・・・・・・
磯の小松原の敬子ちゃん家を想像しながら。に違いない。
彦崎唯一の完全レンガ作りハウスだ。
これこそ重要文化財ではないか。
そして、ここは日本なのにリバプールかと
見間違えてしまうほどの鮮やかなレンガ家。
丸髙のレンガ工場なんかて
50年-60年たった今でもビクともしない。
あの「三匹のこぶた」の教えは
間違いでないことを証明していますね。
思い起こせばレンガ建築は
メソポタミア文明の時代から続く古き歴史。
彦崎出身の東京在駐人は
東京駅、横浜の赤煉瓦見ると、
必ずとこの丸髙工業のレンガ建築を
サイレンと共に思い起こすことでしょう。
また、岡山はレンガ建築が盛んであるのも、
兵庫との県境にある三石があるところからでしょうか?
備前市三石。山陽本線から見る町並みは、
レンガ一色。
そのおこぼれを少し彦崎はいただきました。
写真は丸髙工業彦崎工場南側。
2010-02-05 12:55
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コメント(2)
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丸高。まだ健在なんですね。彦崎が誇るべき近代化産業遺産ですね。あの赤れんがは、出身者にとって原風景の一つでは。「5時のサイレン」が聞こえてきそうです。。。子供のころは、遊びに行った先から、家に帰るよう告げる合図だったのですね。5時なんて、今では昼間みたいなもんですが。
by 江東区民 (2010-02-06 14:30)
大阪の会社が札場に来て大正8年。スゴイことです。現在の場所には昭和3年ということらしいです。当時は40台の織機で蒸気動力でカタカタと厚司(厚手の木綿織物)を織っていたそうです。ピーク時は200名の社員。246台の織機が稼働していたそうです。大きな男子女子寮も・・・・あっ。
by itavoon (2010-02-08 13:32)