真空管ラジオ【土曜日は音楽日004】。 [若林電機]
1965年中頃まだたしかTVが
なかったんじゃないか。
ということはラジオ。
1975年頃まで工場で現役だったのが
真空管ラジオが存在していたので
このラジオあたりが臭い。
しかし、物はむちろんなく
社名も覚えていない。
たぶんナショナルだったかな。
色は紫に近い赤。
「真空管ラジオ」で画像検索してみた。
なかなかみつからない。もっとチープなものなのに。
カテゴリーがちがうのかな?
どうも当時「ルームラジオ」と呼ばれていたらしい。
価格は6,000円前後。
ラジオ放送は1951年放送開始。
〜〜〜〜〜〜〜〜以前「うるわしの1970★1000本ノック。」の記事〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「ありがとう浜村純です」と「ごめんやす馬場ヒロフミです」を長年奏でていた真空管のラジオ。こうばの東側のやや上アタリにセッティングされていた。セッテイングっていうほどのもんではないけど、長い間「縫子さん」のお耳の友達なわけだ。ほとんどの人が電動ミシンを踏んでいるわけだからラジオの音は相当でかい。どのくらいでかいかというと夏なんかに窓を開け放している場合なんかは道を挟んで隣の隣まで聞こえてくるわけだ。0213
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