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17世紀初頭の彦崎【なつやすみの自由研究01】。 [岡山・倉敷・玉野全般]


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「ではいつ頃から児島は地繋ぎなったのだろうか?」
その答えにあるのものが
「世界の中の日本地図  16世紀から18世紀西洋の地図にみる日本」
に少し見る事ができる。

古代から営まれたタタラ製鉄と三大河川が
児島の穴海を変えてしまった。らしい。
その河川は昔、坂根[さかね]、玉柏[たまがし]、
湛井[たたい]と言いう地点から土砂が1000年に渡って注ぎ込んだらしい。
干潮時には干潟として露出する程だったと言われている。

分岐点は1581年。
宇喜多堤といわれる潮止堤防の建築。
彦崎の北側の早島に気づいたらしい。
そして4年後の1585年に高梁川の酒津堤防を完成させている。
写真の17世紀初頭のオランダ発行の地図には未だに
児島の島は中国地方の島の一部だ。
大きく「cojima」の文字が見える。
備中、備前の間の大きな川から正面に構えるように存在する。
この構図は後々覚えていてほしい。
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