常山出身と言われる。明智左馬助。 [児島郡灘崎町]
加藤廣著「信長の棺」に引き続き、
信長遺骸完結編第三弾「明智左馬助の恋」。
冒頭P16
三宅弥平次ーーー。
生まれは備前の南端・児島半島の常山。
父は地場の国人(地元武士)で、三宅徳置といった。
弥平次は、その次男である。
幼名は光春。
天文末期、まだ十歳足らずの頃、父の命令により故郷を離れ、
元主筋の細川家を頼って経に向かった。当時、児島半島の国人は西は備前は宇喜多勢、
東は備後の毛利勢の態勢に一呑にされてしまう存在。
また、三宅氏の祖は後醍醐天皇を隠岐脱出の手助けをし、
足利尊氏を最後まで苦しめたと言われる
児島高徳とされる。
そのため逆賊とされ、備中細川家傘下に見よせる。
とにかく弥平次は細川宋家に。
そして細川元常に預かられたが、
元常の歌道の友である明智光秀のもとえ。
そして光秀の叔父・明智光久の養子として迎えられる。
ただ、明智家家系図では童名の光俊と偽称され、
出生も隠蔽される。
それもすべて足利将軍家から三宅氏の
身元隠しの工作と考えられている。
とにかく三宅弥平次は明智光春(明智左馬助)又は秀満とされている。
しかし、その人物は実在したかどうかは定かではない
というのが現在の説である。
明智左馬助は本能寺を襲撃した後、
安土城の守備についたが、
羽柴秀吉との山崎の闘いで光秀が敗れ、
左馬助は城を本来の坂本城に移し自害。
2010-06-05 12:04
nice!(0)
コメント(2)
トラックバック(0)
「信長の棺」「秀吉の枷」ともに積ん読状態です。夏休みに読みたいです。
「左馬助」も、大河ドラマ化されると、岡山が舞台になりますかね。それよりは、岩本ナオさんのコミックの方が可能性ありますか。それにしても、「県人本」を読むと、岡山県人のステレオタイプとして、「合理的」「権謀術数」等々がありますが。。。必ずしもそんなことはないですよね。
関係ないですが、大阪では岡山料理の店を発見できていません。近すぎるからでしょうか。
by 吹田市民 (2010-06-18 03:56)
夏休みの宿題。
読書感想文お待ちしております。
ステレオタイプ。「合理的」「権謀術数」等聞きますね。
これはすべて宇喜多直家のことではないでしょうか?
また、策士であるというのもよく聴きます。
「岡山県人が歩いたあとはペンペン草も生えない」
東京に来て聞きました。語った人は隣県広島府中のひとですが・・w
とにかく、西の勢力と東の勢力に挟まれしたたかに生きてきたからこそでしょうね。さらに象徴的なのは児島半島だと思います。現在も。
by itavoon (2010-06-18 11:17)