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018が欠番なのでこれが|彦崎絶景百選029 [彦崎絶景百選登録済み]

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彦崎が無人駅になり、
陸橋がきたのが1972年ごろか。
当時はいやっだったけど
こんな景色が記憶として刷り込まれたので
まんざらでもない。
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6気筒1,500cc逆噴射イTURBO|003 [マキチャンコラボ]


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小学校低学年の受け持ち担任は、女性教諭。何故か。
おそらく、家事教育を優先的に教育していこうという、教育委員会の方針なんじゃないのかな?とぼくは思う。だって、掃除の仕方まで、教えてくれる。

教室の床板は柾目の板を長手を繋いで、横へ拡げてゆくと、合わせた部分が、細いミゾの目地になる。
その部分は、細かいチリやホコリがたまり、普通にホウキで掃いただけでは、取り除けない。
『ここは、ホウキを縦にして、ミゾに沿って掃き出しましょう』
と教えてくれる。女性教諭じゃなければ、こんな事は言わない。
ボクは聞いた。岡先生、大元先生、中村先生のうちの誰かに。

3年生のときの中村先生だ。
その頃は、もう班分けが作られていたし、給食のときも、6人程度でまとまって食べており、給食室からズンドウを持ってきたり、まかない一式やっていた。

3年生のある日の給食…班のメンバーは、たかさん・イタボー・ぼく・と、あと、ふーちゃんと、他に2名いた。だれかれともなく「きょうからみんなの牛乳を、ひとりで全部飲んでみようや〜順番に…」と言い出した者がいて、みんなが、何の躊躇いもなく同調した。
あのふーちゃんが反対しなかった(いま流行りの、同調圧力のはしりだ)のが、なにをおいても不思議だった。
その日は、たかさんが、6本飲むことに決まり、たかさんは、みんなから差し出された牛乳を、難なく飲み干した。

つぎの日は、イタボーの番だった。前の日と同じように、みんなから差し出された5本の牛乳と、自分の1本の、あわせて6本を、彼もたかさんと同じくらいの時間で、飲み終えた。
来週は、ぼくの番だなぁと思っていたから、金曜日じゃろう。

授業が終わって「これから教室の掃除じゃ」というとき。いきなり、ほんとうに突然、イタボーが先ほどカブ飲みした牛乳を吐いた。
(250cc×6本=1.5ℓ…小3の児童が飲めば、たとえ男子でもそりゃ戻す)
『チクショー、イタボーが吐かんかったら、つぎはぼくの番じゃったのに』『それにしても、吐かんかったたかさんはスゲー。何者なんじゃろう?』『やっぱり、岡山市内出身の奴は、ちがわーな』
色々な事を考えながら、みんな黙って、ミゾに詰まっている、チリとホコリが混ざった牛乳を履き出した、掃除時間。
by マキチャン (2020-10-26 07:24)

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痛みがともなう(相手にたいしても)の記憶というのは忘れがたい。
過去に匂いが伴う記憶も忘れずらいのかも。

水で薄めていたけけども牛乳の匂いと木造校舎の床のワックスの匂い。
その記憶はがっつり覚えている。
こんな経験をしたが、牛乳は今でも大好物だ。
なのだがこれは片思いで、飲んだとたんに体がワナワナしお腹下す。
アジア人得意の牛乳拒絶反応だ。
でも、好きなのでそんなリスクは関係ない。
いくらでも飲める飲める。旨い。
トランプみたいな負け惜しみではない。
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マキチャンの生まれたところ|002 [マキチャンコラボ]

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画面中央、右側にある白いブロック塀のあいだに、坂道があって、
そこを上がると、るみちゃん家。

お風呂を新築したときに、用木中の人を呼んで、お風呂に入ってもらうお祝いがあった
。湯船に、お盆ごとうどんを浮かべて、みんなで一杯ずつ食べる。
ボクの家からも祖母、母、と三人で行った。
父は、仕事で航海に出ていて行けなかった。
香川県では、そういうことが、慣習としてあるらしいが、岡山ではめずらしいはず。

中央に写っている、柿の木の向こう側には、僕のひとつ下の幼馴染み、
ブリキ屋(屋号)のケージが住んでいて、コレが、
至くんに負けず劣らずの悪ガキで…よく泣かされた。
僕の左側頭部には、10円禿げがあるが、ケージに竹のボーで突かれたものだ。

by マキチャン (2020-11-10 15:31)

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「マキチャンにこの文面を載せたいと」と問うと
「一部直したいところを修正したらOK」といことだ。
どこを直したかのか聞くと、
「10円ハゲは右ではなく、左」というところだと。
流石だ!!
そうでなくては、この極めの細かい記憶が
大脳に保管されている筈はない!!
そのハゲも少なからず天才記憶少年に恩恵を与えているはず!!
ということで
この彦崎に昔から伝わる「祝うどん風呂」。
私は今回初めて聞く風習だ。今でも一部で恙無く行われているのだろか?
そんなことは聞いた事はない。
用木の人たちは彦崎の最後のヒコニヤンなのかもしれない。
(ひこにゃんにあらず、チバニアンみたいな)。

ということで1961年の用木を見てみよう。
「右側にある白いブロック塀のあいだに、
 坂道があって、そこを上がると、るみちゃん家。」
思い出した!山の上だ。
んでマキチャンちは?

わたしは天才ではないので覚えていない。あっ!立派な「お池」もあるね。

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Ceremony and shocking accident |001 [マキチャンコラボ]


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家を建てるとき、上棟式というのをやる。
家の枠組みができた時【むねあげ】と称し、餅や菓子銭貨を撒いて、出来上がる家の、災厄を祓い、あわせて家内安全を願う儀式だ。
メインは、餅撒きだが『スミのモチ』と言うのもある。
家の骨組みの四隅に、中に300、500円(五十三年前当時の相場)程度の、硬貨を埋め込んだ餅をスタンバイし、餅撒きもクライマックスに差し掛かった頃あいを見計らった施主、その他、主要の者が、家の骨組みの下に集合した、町内の人々に、四方からほぼ同時に撒くという、ド派手な演出もあって、血気盛んな若い衆は、誰もが、獲るつもりで、やる気満々なのだ。

彦崎保育園のある日、園庭にあるジャングルジムに登って遊ぶ園児がいた。
ゆきちゃん・タコさん・こーちゃん…いわゆる植松メンバーだ。同時に、札場のイタボーもさらに上に登っており、こぶし半分ほどの、石コロを握っている。
ジャングルジムの、てっぺんに登ったとき、彼の頭の中には、一瞬【むねあげ】の光景が、よぎったのかもしれない。
「むねあげじゃー」と叫んだその数秒後、タコさんの額から、鮮血が噴き出した。

保母の、佐藤先生と三宅先生が、慌てていたから、のっぴきならない状況だと言うのは、子ども心に何となく分かった。ボクもそのジャングルジムに、登っていた。

半世紀以上前の、言わば伝説。
タコさんとイタボー…その後の人間関係に、大きな影響を与える事故だった。
by マキチャン (2020-11-02 07:30)

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現在のマキチャンの脳は冴え渡り、
というか昔から詳細な記憶に驚かされる。
まるでその時代に戻れるタイムマシンのようなのだ。
その貴重な記憶をここに記す。

こんな衝撃な出来事は忘れる事なく、
追加の情報として、この「地獄の棟上げ」はこの流血事件の前に
「プレ地獄の棟上げ」が行われている。
なので今回で2回開催されているのだ。
タコさんごめん。あと、ユキちゃんも。たしか。

(2020-11-04の記事の写真より)
ところでこの写真のジャングルジムはどこ?
よく考えたら、
保育園の南西の角ならこの民家は当時あったはず。
ということわよ。
すでに今の彦崎小学校の一部にジャングルジムがあったのか?
記憶では保育園の南庭にあったはず。
ここはどこ?
と少し調べたら、1961年の彦崎上空から撮った空撮。
当時から4-5年前だけど、家がない。
その査定背景範囲にもなんにもない。
写真の通り、後ろは田圃だらけ。たしかに。
なのでジャングルジムは園内にあるとほぼ確実。
(というか1961年段階でまだ彦崎保育園は出来ていなかったのだ。
 岡南もないし、コンパンもない)
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彦崎保育園のジャングルジム。 [中村地区]



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これが噂の彦崎保育園のジャングルジム。
たこさんめちゃくちゃ嫌がっている!
ということは後ろで私がなにかしているのか?

しかし、背景にほとんどいえがない!
一番前はふ〜ちゃん。
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